蒙古青年论坛

 找回密码
 注册
查看: 873|回复: 3

日本方面关于诺门汗战役的档案及照片

[复制链接]
发表于 2008-5-24 22:55:18 | 显示全部楼层 |阅读模式

■文・石坂 辰雄


ノモンハン事変忘れ難い特筆 五項
石坂准尉執筆の原稿用紙より
一、行軍
 小松原師団壊滅近しの報に灼熱の暑さの中、前線までの行程百㎞を二昼夜の強行軍で突破。

二、水の有り難さを知る
 「水、水が全くない。水を飲みたい。水が欲しい。雨よ降れ降れ。水恋し」

三、歩兵第十六連隊
 ソ蒙軍戦車の大逆襲を受け、我が歩兵第三十連隊の眼前約五百メートルの地点は火の海と化し、歩兵第十六連隊は全滅す。

四、天幕(時価約壱万円)紛失補填
 このまま帰還すれば石坂軍曹の管理責任が問われ、処罰問題になりかねず、苦慮の末、一個分隊を率いて某工兵隊の天幕集積所より三十五組持ち帰る。

五、娘さん発見の噂で兵はぬか喜び
 ハロンアルシャン近し、老婆と出会う。「女がいたいた」と久し振りに見る地方人に兵隊は大ハシャギ。

石坂 「…話が前後するけど、ムーリンに駐留していた昭和十四年八月二十六日、ノモンハン戦線へ出動命令が下った。敵は近代装備を誇る極東ソ連軍だ。相手に不足はないと、出撃前、我が関東軍は腕を鳴らしたもんさ。
 翌二十七日、三十連隊は駐屯地のムーリンを出発、勇躍ノモンハンへ出動した」

藤本 「ノモンハンの戦闘で記憶に残っていることを話して下さい」

石坂 「大雑把に言うとね、ノモンハンの戦いで印象に残っていることは五点あるんだ。(石坂准尉、ちゃぶ台に積まれている資料をガサゴソさせつつ)これは戦後になってから書いた箇条書きなんだけど、『ノモンハン事変忘れ難い特筆 五項』と題されているだろ」

明夫 「あっ、それっ、だいぶ前に見たことあるな。そうか、親父はノモンハンの思い出を分かりやすく纏めていたんだっけ」

石坂 「そういうこと。では順番にこの通りに説明していこうか。まずは一点目の強行軍の話だ。
 周知の通り、ノモンハン事変というのは日本軍が大敗北を喫した戦闘として歴史にその名をとどめている。俺達三十連隊が出動した理由はね、世間から批判の絶えない、いわゆる『兵力の逐次投入』なんだ。時期的にはノモンハン事変後期になるのかな。
 小松原兵団壊滅近しの報云々と書いてあるだろ。読んで字の如しでさ、玉砕間近の友軍を救い、何とかしてソ連軍に一矢報いなければ腹の虫がおさまらないとばかり、我が第二師団は躍起になって救援部隊及び必勝部隊をもって快速行軍を強行したんだ。前代未聞とまでは言わないけど、なかなかの進軍速度だったんじゃないかな。少なくとも、今の陸上自衛隊には真似の出来ない行軍だと保障するよ。あの頃の帝国陸軍と現代の陸自じゃ、比較にならないよ。兵隊の質があまりにも違う。現代の進んだ科学装備を抜きにして、裸で帝国陸軍歩兵と陸上自衛官が競い合ったら、絶対前者の方が勝つに決まっている」



[size=-1]第二大隊本部付 石坂軍曹
(ノモンハン出動間際、二十四歳時の写真)

[size=-1]関東軍司令官 植田大将[size=-1]第二師団長 安井中将

[size=-1]第十五旅団長 片山少将[size=-1]歩兵第三十連隊長 柏大佐

[size=-1]*一言(藤本)
 上の写真四枚、ノモンハン事変出動時における石坂准尉の直属上官。

[size=-1]第六軍司令官 荻洲中将(左)
第二師団長 安井中将 (右)
[size=-1]満州国在留日本国防婦人会の見送りを受ける安井中将
(昭和十四年八月 ハルビン駅に於いて)

[size=-1]越後健児を率いて意気上がる
第二師団長 安井中将
[size=-1]第十五旅団長 片山少将
指揮所の幕舎前にて

[size=-1]第十五旅団幹部
中央 旅団長 片山少将
その右隣 歩兵第三十連隊長 柏大佐
左隣 歩兵第十六連隊長 宮崎大佐(背の低い人物)
[size=-1]左 第六軍司令官 荻洲中将
右 第二師団長 安井中将

[size=-1]戦闘指揮を執る新発田第十六連隊長 宮崎大佐(右から二人目)

[size=-1]満州国・張国務総理一行の国境戦線視察(中央)[size=-1]馬上の荻洲中将



石坂准尉の覚え書き(ノモンハンの水不足)
『満蒙国境 ノモンハン事変 昭和十四年』(石坂准尉の書き込みより)

「水、水、水、水恋し」

 ノモンハンは水が無い。
 兵は水欲しさに湿地帯を求める。水でさえあれば濁り水でも大満足である。
 「雨よ、降れ降れ」
 雨水は何よりの貴重品。まだ薄暗いうちから兵は馬車にドラム缶を積み、約二十㎞後方のドルト湖まで水汲みに出かける。帰るのは夜中で、貴重な水は一人にコップ一杯だけ配給される。
 水の有り難さを心底知った。


石坂 「二点目だけど、ノモンハンは水がなくてね、本当に苦労した。あの頃の石坂軍曹がここにいたら、そこら辺のドブ水だって喜んでガブガブ飲むと思うよ。補給の続かない、もしくはその発想のない軍隊というのは辛いもんでさ、後の大東亜戦争でも露呈する日本軍の弱点なんだけど、やっぱり『輜重輸卒が軍人ならば電信柱に花が咲く』の考えはよくない。精神力一辺倒の白兵戦中心主義もよろしくない。これじゃ、一大機械化部隊を有するソ連軍にかなわないはずだよ」

藤本 「とは言っても、残念ながら大日本帝国は貧乏国に違いありません。アメ公みたいに兵隊全員が自動小銃を持っていたり、トラックやジープでもって戦線を悠々とぶっ飛ばしたり、万単位で戦車を量産したりするのも不可能です。
 そういった状況では、精神力を重んじ、肉弾で敵を撃砕する思想が芽生えても仕方ないじゃないですか。それしか手がないんですから」

石坂 「その無茶をやらされたのが俺達って訳だ。そういえば、日露戦争の乃木将軍は無理強いの白兵戦で敵を押し切っているね。後の支那事変でも同じ方法を使い、充分通用しているな。でも、そのまま大東亜戦争になってもそれが引き継がれ、ガダルカナルなんかで悲劇が続発したのはやるせないね(*藤本・注 高田三十連隊と同郷の新発田十六連隊はガダルカナルで壊滅している)」

藤本 「貧乏国であったという事実は揺るぎませんが、第一次世界大戦を満足に経験せず、古臭い日露戦争の戦訓と、後進国の支那軍を相手にした戦法で世界大戦に参戦したのは悔しい限りですね。ないものねだりに無理があるなら、せめてドイツ軍みたいに、一局集中という形で機械化部隊を運用して敵を覆滅するすべはなかったのかと、後知恵で考えてしまいますよ」

明夫 「ベタな話だけどさ、ベタであるが故に、今語られている内容は説得力あるね」


[size=-1]ハルハ湖畔のソ蒙軍陣地[size=-1]砂漠の中に散兵壕を構築
[size=-1]ソ連戦車軍団の中央には航空隊により撃墜された敵機が黒煙を吹いて燃え盛っている[size=-1]不法越境の暴虐ソ蒙軍に猛射を浴びせる歩兵陣地

[size=-1]怒濤のごとく押し寄せるソ連軍の大戦車軍団

■激戦、ノモンハン

 ハルハ河を挟んで日満軍とソ蒙軍は連日熾烈な戦いを繰り返した。我が軍の戦死者約七千人。

[size=-1]駐機中[size=-1]出撃する航空隊

[size=-1]静寂に包まれた戦場[size=-1]馬上の人物は何を想う

■関東軍航空隊の活躍(石坂准尉の回想)

 不気味な静けさが何日も続く中、友軍機だけが休む暇もなく敵後方陣地を爆撃せり。
 また、去る○月二十八日の空中戦では「敵四十二機を撃墜、全機無事悠々○○基地に帰還」との戦闘機隊の活躍を聞く。

[size=-1]蒙古平原を圧して堂々進撃の満州国軍騎兵隊[size=-1]最前線へ急ぐ歩兵部隊



石坂准尉の覚え書き(蒙古の風景)
『満蒙国境 ノモンハン事変 昭和十四年』(石坂准尉の書き込みより)

「蒙古人部落」

 蒙古人は果てしない大荒野に放牧を営み、定住することなく移動する。
 部落は精々二、三軒で、馬は五十頭ないし六十頭を飼育し、生の馬肉を主食にしている。台所の火は乾燥した馬糞からおこし、便所、風呂等の設備はない。彼等は貧しい生活をおくっているが、平和な毎日に満足している。

[size=-1]点在する蒙古の民家~その一[size=-1]点在する蒙古の民家~その二

[size=-1]蒙古人の老婆と馬車

[size=-1]*一言(藤本)
 石坂准尉によると、蒙古人はボロボロの衣服を纏っていたそうである。ユーラシア大陸を席巻したチンギス・ハーンの配下も同じような暮らしぶりをしていたのだろうか。

***

「廃墟の廟」

 人里離れた広漠たる原野に見られる廟は何百年の歴史がしのばれる。こんな素晴らしい廟がなぜ僻地に建てられているのか不思議でならない。
 遠くから廟を眺めると壮大だが、近くに寄ると人影なく廃墟化している。

[size=-1]蒙古平原に忽然とあらわれる廟~その一[size=-1]蒙古平原に忽然とあらわれる廟~その二

***

「敵はソ蒙軍だけにあらず」

 広漠たる蒙古平原は日中三十度を越す猛暑、夜になれば零下の極寒に変貌する。この特異な気象に悩まされながら、三十連隊は苦闘の日々を過ごす。



明夫 「この三点目の歩兵十六連隊全滅って、親父はその目で見たの」

石坂 「ああ、しかと見たよ。ソ連軍の戦車が数百台単位で十六連隊に襲いかかってね、ひどい光景だった。目の前が火の海でさ、こっちの三十連隊は助けようにも助けられなかった。
 もともとね、十六連隊が突出したのは命令違反なんだ。当時の連隊長宮崎繁三郎大佐の判断なのか分からないけど、はっきり言って自業自得だよ。関東軍の独断専行はある種の伝統とはいえ、陸軍中枢の命令を無視したんだからね。
 不思議と宮崎中将の評伝に『ノモンハン唯一の勝利者』なんて言葉が躍っているけど、現場を目撃している人間から言わせれば、どこが勝利者なんだと首を捻ってしまう。戦車の下敷きになって悲鳴を上げている日本兵を何人も見ている俺は、
 『日本軍はノモンハンで大負けしたんだ。誰も彼もが』
 と、絶叫したいくらいだよ。高田三十連隊と同郷の新発田十六連隊はノモンハンで壊滅したんだ、間違いなく」

[size=-1]*一言(藤本)
 誤解のないよう断っておきたい。十六連隊が甚大な被害を被ったのは間違いないものの、一個連隊まるごと玉砕したのではない。石坂准尉の話は言葉のあやである。


ノモンハンの戦況を伝える内地の新聞

[size=+2] 逆襲の敵壊滅 ハルハ河畔で大激戦

 【海拉爾(ハイラル)特電八日発】 ノモンハン戦場は外蒙ソ軍がさる七月二十六日の大殲滅戦以来、空中地上共に我が徹底的な猛撃を受けて制圧さるに至り、時折緩慢な砲戦を交えるほか比較的平静な状態にあったが、七日午前四時に至り、ノロ高地正面の敵約一千は突如四箇所よりハルハ河に架橋、多数の戦車と優勢な砲兵の援護を頼みに猛烈なる逆襲に転じて来たが、かねてこのことあるを知っていた我が軍は一斉に巨弾の雨を浴びせてこれを猛撃、交戦約二時間の後、越境外蒙ソ軍は遂に壊滅的大打撃を受けハルハ河左岸に遁走した。
 付近戦場は敵の遺棄死体約二百数十に上り、猛火災を起こして擱坐炎上する敵戦車とこれらの死傷者で充満し凄惨極まる情景を呈している。なお同方面の敵は八日も引き続き逆襲の意図を捨てず続々兵力を集結中で彼我の砲声殷々と轟いている。
 我が方は目下満を持し厳重敵を監視中である。


[size=-1]停戦協定現地交渉

[size=-1]昭和十四年九月十六日、日ソ停戦協定成立
両軍の記念写真

[size=-1]英霊に捧ぐ[size=-1]慰霊

■ホロンバイル平原に平和よみがえる

 奮戦健闘護国の神となりし関東軍将兵戦死者の慰霊祭施行さる。

[size=-1]ハロンアルシャンへ引き揚げる戦車部隊[size=-1]さらばノモンハン

[size=-1]三ヶ月ぶりの入浴で戦塵を洗い流す兵隊[size=-1]撤収地ハロンアルシャンで振る舞われる命の水


石坂 「それでは四点目にいこうか。この蓮池天幕事件は一世一代の泥棒なんだ。今この歳になっても『悪さしたな~』と後悔しているけどね。
 …日本軍が敗北して両軍に停戦協定が結ばれると、帰還命令が各部隊に下った。異変はその時に起こったんだ。『転進』ならぬ、本当は『撤退』だからさ、ノモンハンの戦場はそれなりに慌ただしくて、ひっちゃかめっちゃかな雰囲気だった。そのせいなのか、俺達の部隊がいざ還ろうとしたら、天幕が数十組単位で紛失していたのには驚いたよ。理由は分からないけど、とにかく無いんだ。このままでは到底すまされない。こんな失態を上官に報告しようものなら、石坂軍曹は営倉入りだ。慌てた俺はすぐさま一個分隊を率いて某工兵隊の天幕集積所に乗り込み、ごっそり盗み帰って員数を揃えた。そうして、何とか誤魔化した俺は監獄に入らなかったんだけど、この時は肝を冷やしたね。良くも悪くも想い出といっちゃ想い出に違いないけど、もう二度とご免だよ」

明夫 「親父もワルだね(笑)」

藤本 「いや、明夫さん、よくある話なんだよ。昔の軍隊では物が無くなったら、帳尻を合わすために他人から盗むものと決まっているんだ。無いことを責められはしても、その手段は問われないのが軍隊というところなんだ。だから、石坂准尉の想い出も、無数にある『従軍こぼれ話』の一つにすぎないよ。地方人だとびっくりしてしまうようなことも、軍隊では通用する常識なんだ。これは、けっして石坂准尉をかばっているんじゃないよ」

明夫 「それっ、本当なの」

藤本 「そうだよ(笑)」

石坂 「うん、うん(笑)」



石坂准尉の覚え書き(ノモンハンの戦い)
『部外秘 支那事變史 満洲第一七七部隊』(石坂准尉の書き込みより)

「天幕事件」

 当時、第二大隊被服係の地位にあった私には、全中隊の天幕の管理責任があった。停戦となり、いざ帰還しようとすると、何とその内、約二十五組の天幕が紛失しているのが判明した。苦慮の末、他隊の天幕を持ち帰るより仕方なしと判断し、すぐさま兵一個分隊を率いて第一線撤収のため集積してあった某工兵隊の天幕約三十数組を運び出した。
 若さとはいえ、工兵隊では困ったことだろう。

***

「新発田歩兵第十六連隊全滅」

 九月七日、九〇四高地の敵陣を攻撃すべしとの命令を受け、我が軍の決死隊は白襷も勇ましく粛々と前進せしも、十六時、突如夜襲中止命令下り断念す。しかし、友軍十六連隊は命令を無視し、夜襲を敢行。所定の陣地を占領せるも夜明けとなるや敵戦車の逆襲を受け、全滅す。

***

「石山監視所」

 石山から三角山の間は平坦地で約三百メートル。石山の陣地から三角山の敵兵が肉眼で見えた。

[size=-1]石山監視所より三百メートル前方のソ連軍三角山陣地を監視する

中央 望遠鏡で敵陣を観察しているのが石坂軍曹
(昭和十四年九月十日)



藤本 「五点目、兵隊が大はしゃぎしたという老婆の話を聞かせて下さい」

石坂 「三十連隊が帰還する時、蒙古の平原で一人のお婆さんと出会ったんだ。そしたらさ、『女がいた』という話が後ろを歩く人間に伝わったのはいいんだけど、噂が勝手に一人歩きしちゃってね、長らく娘さんとは無縁の戦場生活をしていた兵隊が、
 『女だ、女だ、わっしょい、わっしょい』
 と、そりゃもう喜んでしまった(笑)。
 でも、女は女でも、まさか老婆とは思わないでしょ。だから、よぼよぼのお婆さんと後で分かった時は、若い兵隊が落胆しちゃってね、おかしなもんだったよ。ちなみに、落胆した兵隊の一人が俺なんだけどね。
 ノモンハンの戦いに一輪の花が咲いたと慌てた俺達は、とんでもない早とちりをした。これは、ノモンハン戦史上における我が帝国陸軍の重大な失態の一つだよ(笑)」

◆一同 (爆笑)


[size=+1]「石坂准尉のノモンハン戦場写真」

[size=-1]機関銃陣地を視察する石坂軍曹(右)[size=-1]第二大隊将校(後方二人目、長澤大隊長)

[size=-1]第二大隊本部幕舎前にて
中央 石坂軍曹

[size=-1]ソ蒙軍陣地を眺める石坂軍曹
ホロンバイルの朝
[size=-1]日本軍高射砲陣地

[size=-1]左から佐藤中尉、柏連隊長、長澤大隊長、草間大尉[size=-1]中央 第一大隊長 田澤少佐

[size=-1]長崎中尉、近藤准尉[size=-1]大隊副官 長崎中尉
(ノモンハン戦時、五中隊一小隊長)

[size=-1]疲れ果てた兵は天幕の中で暫しの仮眠[size=-1]戦いの合間

[size=-1]集合

[size=-1]敵状観察[size=-1]戦場の一息

[size=-1]ソ連軍の行動を監視する我が軍の歩哨[size=-1]○○隊幹部

[size=-1]芋の皮むき[size=-1]班長を囲んで

[size=-1]対戦車壕を掘る

[size=-1]蒙古平原[size=-1]石蘭高地[size=-1]壕内陣地点在

[size=-1]軍馬も一休み[size=-1]満州国軍戦没者、安住の地

[size=-1]帰還準備[size=-1]集結

[size=-1]軍用列車

[size=-1]新発田歩兵第十六連隊慰霊祭
(帰還後、満州に於いて)


『部外秘 支那事變史 満洲第一七七部隊』
満洲第一七七部隊將校集會所

[size=+2]第十章 ノモンハン事件

[size=+1]第一節 出動

[size=+1]ノモンハン事件

 昭和十四年二月初旬頃、満ソ西部国境において頻々たるソ連兵の越境がおこなわれ、彼が何事かを企図しあるかに察知されるに到った。
 支那ではこの年の春、蒋介石が四月攻勢を号して蟷螂の斧をふるい、そのことごとくが脆くもやぶれ去ったが、あたかもこれと呼応するかの如く五月十一日、外蒙赤軍に属する一部隊がノモンハン付近で越境し来たり、国境警備の任にある皇軍ならびに満州国軍と衝突、激戦を交えた。
 日満両軍は寡兵よくこれを国外に撃退したが、次いで六月十五日、外蒙軍は再びハルハ河の線を襲い来たり、ここに第二次ノモンハン事件が惹起され、軍は七月二日を以て断固ハルハ地区の敵に総攻撃を開始しこれを圧倒した。
 軍の総攻撃により一時鳴りをしずめたかに見えた敵は、八月二十七日にいたりまたまたハルハ地区から大挙越境し来たり、我が軍との間に三度目の激戦が展開された。
 この三次にわたる戦闘がノモンハン事件の全貌であった。この間敵は厖々なる機甲戦力を以て我を襲い、我は肉弾を以てこれにあたる血戦が、ホロンバイルの草原を紅に染めて展開され、地上において敵戦車四百余台撃破、また空中戦において我が荒鷲は、ボイル湖上の戦闘、タムスク爆撃と敵を銀翼の下に慴伏せしめ、一千余機撃墜の驚異的な戦果をあげた。
 部隊は八月二十六日第三次ノモンハン事件のために出動、西部国境に鮫城健児の名を轟かせたのである。

[size=+1]○○下令

 昭和十四年八月二十六日八時五分、ノモンハン出動のための○○○兵が下令された。ちょうどこの日は部隊通信班の第一次検閲が練武台においておこなわれる予定であったので、部隊長以下部隊幹部は早朝から検閲地に出張中だった。○団司令部よりこの旨を電話で受領した部隊本部では、ただちに各隊に伝達すると共に諸準備に着手した。

第○○団命令

八月二十六日
下城子

一、○団ハ直チニ出動ヲ準備セントス
二、各部隊ハ予定ノ計画ニ基キ速カニ出動ヲ準備スヘシ、携行シ得ザル荷物ハ残置人員ニ保管セシメ○団主力ノ出発後成ルヘク速カニ原駐地ニ還送スヘシ


 部隊の目指す出動地は広漠たるホロンバイルの大曠原、しかも敵は自他共に許す赤色の侵略者、科学装備を誇る極東赤軍だ。
 右の命令と同時に○団軍医部より特殊地域における防疫、化学戦における各種防毒に関する諸指示が達せられた。
 かくて部隊は片山支隊の編成に入り○団長ならびに支隊長から左の如き訓示があった。

訓示

 茲ニ急遽東北健児ノ精鋭ヲ率イ勇躍出動セントス本職欣快惜ク能ハサルト共ニ深ク期スルトコロアリ、惟フニ敵ソ連邦ノ積年ニ亘ル暴戻ハ天人共ニ許ササルトコロ殊ニ近時満蒙国境ニ於テハ我疆ヲ侵犯シ皇軍及満軍屡々之ヲ撃攘シツ、アルモ尚其不法ヲ改メス之ヲ徹底的ニ膺懲シ東亜永遠ノ平和ヲ確立スルハ日満両国民斉シク待望スルヤ切ナリ
 今ヤ正ニ此聖戦ニ赴カントス諸士ハ君国ニ報スル千載一遇ノ好機ニ際会シ男子ノ本懐武人ノ光栄夫レ何モノカ之ニ如カン
 敵ソ軍並ニ外蒙軍ハ其兵数ノ衆多ト物質的威力トヲ恃ムト雖モ精鋭ナル皇軍ノ精神威力ハ遙ニ彼ヲ凌駕シ常ニ彼ヲ屈服セシメアルハ諸士ノ既ニ熟知スルトコロ、殊ニ精鋭無比ヲ矜ル伝統ヲ有シ且平素猛訓練ニ精進セシ我○団ハ彼我兵数ノ如何ヲ問ハス必勝期シテ待ツヘシ
 特ニ緒戦ノ成果ハ爾後ノ作戦ニ影響スルヤ極メテ大ナルニ鑑ミ細心ニシテ放胆敵ノ弱点ヲ突キ以テ最大ノ戦果ヲ獲得スル為渾身ノ努力ヲ傾注スルヲ要ス
 諸士宜シク必勝ノ信念ヲ愈々鞏クシ生死ヲ超越シ旺盛ナル責任観念ト剛健ナル意志トヲ堅持シ斃レテ後尚己マサルノ概ヲ以テ一意其任務ノ遂行ニ奮進シ以テ○団ノ名誉ヲ愈々発揚シ上聖旨ニ副ヒ奉リ下日満国民ノ負託ニ添ハンコトヲ期スヘシ
 時将ニ秋冷ヲ加ヘ気候ノ激変アル不毛ノ曠野ニ臨マントス各自特ニ衛生ニ注意シ遺憾ナク其本分ヲ尽シ且武運ノ隆盛ナランコトヲ祈ル

昭和十四年八月二十六日

第○○団長 安井藤次

***

訓示

 本職今度隷下部隊及配属部隊ヲ指揮シ西方満蒙国境戦場ニ赴カントス誠ニ光栄ノ至ニ堪ヘス諸子亦武人トシテ本懐コレニ過サル可シ想フニ諸子ハ聖諭ヲ奉体シ平素訓練セラレタル處ヲ而モ我長所ヲ発揮シテ彼ノ長所ヲ封止シ又彼ノ短所ニ乗シ益々志気ヲ振起シ体力ノ強化ヲ図リ以テ我伝統ノ名誉先人ノ武勲ヲ継承拡充センコトヲ望ム

右訓示ス

昭和十四年八月二十六日

片山支隊長 片山省太郎

***

片山支隊編成

支隊長 陸軍少将 片山省太郎
○○第十五○団(TA/ooi欠)
○○兵第二○隊第二大隊
○○第二○隊
○団通信隊ノ一部
○無線二小隊
○○兵第二○隊自動車隊
衛生隊

***

 十四時に到り早くも輸送命令が発せられ、部隊は二箇梯団となりハロンアルシャンに向け列車輸送により進発することになった。


[size=+1]「○○第○○○隊将校職員表」 (昭和十四年八月二十六日)

○隊本部

 ○隊長──柏 徳 大佐
 副官──齋籐 國松 大尉
 旗手──武藤 武夫 少尉
 兵器掛瓦斯掛──相澤 小壽 中尉
 通信班長──志賀 周平 准尉
 軍医──廣池 文吉 少佐
 獣医──櫻井 宗己 少尉

第一大隊

 大隊長──田澤 啓三 少佐
 副官──川久保 勇 少尉
 軍医──深川 太郎 中尉
 軍医──山田 豊 中尉

第一中隊

 中隊長──高野 諄平 中尉
 小隊長──佐藤 守信 中尉
 小隊長──大平 桂佐吉 准尉
 小隊長──加藤 義勝 准尉

第二中隊

 中隊長──森野 理吉 中尉
 小隊長──川島 育二郎 少尉
 小隊長──佐藤 源次郎 准尉
 小隊長──前川 清之助 准尉

第三中隊

 中隊長──重原 慶司 中尉
 小隊長──清水 清治 中尉
 小隊長──水落 定治 准尉
 小隊長──内山 貞雄 准尉

第一機関銃中隊

 中隊長──遠家 龜市 中尉
 小隊長──木戸 高信 准尉
 小隊長──鈴木 祐司 准尉
 小隊長──平田 良作 准尉
 小隊長──杉澤 久賢勇 准尉

第一大隊歩兵砲小隊

 小隊長──山口 新三 少尉

第二大隊

 大隊長──長澤 太郎 少佐
 副官──罍 徳重郎 中尉
 主計──竹田 正義 少尉
 軍医──金谷 一彦 中尉

第五中隊

 中隊長──宮田 金吾 中尉
 小隊長──長崎 勝平 中尉
 小隊長──小林 國武 中尉
 小隊長──近藤 宇平 准尉

第六中隊

 中隊長──小宮 善吉 中尉
 小隊長──佐藤 祐一郎 准尉
 小隊長──池田 庄太郎 准尉
 小隊長──丸田 寛治 准尉

第七中隊

 中隊長──五十嵐 六平 中尉
 小隊長──深井 重司 准尉
 小隊長──野口 春雄 見士
 小隊長──池内 龜次郎 准尉

第二大隊歩兵砲小隊

 小隊長──傳田 鹿藏 少尉

第三大隊

 大隊長──齋籐 俊三 少佐
 副官──越村 藤吉 少尉
 主計──中村 正夫 中尉
 軍医──渡邊 清秀 少尉

第九中隊

 中隊長──坪川 精作 中尉
 小隊長──白田 精四郎 中尉
 小隊長──田中 正二郎 少尉
 小隊長──樺澤 仁一郎 准尉

第十中隊

 中隊長──西野 清一郎 中尉
 小隊長──土井 長治 中尉
 小隊長──田中 勇雄 少尉
 小隊長──鈴木 宇三郎 准尉

第十一中隊

 中隊長──清野 秀智 大尉
 小隊長──南田 多治郎 少尉
 小隊長──大山 秀二 准尉
 小隊長──佐藤 栄一 見士

第三機関銃中隊

 中隊長──宮澤 春正 中尉
 小隊長──片桐 和四 中尉
 小隊長──橋爪 一二三 見士
 小隊長──永井 由次郎 准尉
 小隊長──大石 孝逸 曹長

第三大隊歩兵砲小隊

 小隊長──恩田 吉五郎 准尉

連隊歩兵砲中隊

 中隊長──濱 久 大尉
 小隊長──田中 藤七 中尉
 小隊長──小林 三治 准尉


[size=+1]アルシャンへ

第一次輸送部隊
輸送指揮官 柏大佐

○団司令部
部隊(Ⅲ・RiA・TiA行李欠)

第二次輸送部隊
輸送指揮官 齋籐少佐
第三大隊・RiA・行李欠

 北斗妖しくきらめく営庭に整列、北満の秋はすでに深いのだが、完全軍装の背嚢は冬服の上からずっしりとかかって汗ばむくらいの陽気だった。
 第一次輸送部隊は同日二十四時、続いて第二次部隊は二十七日二時三十分穆稜駅を出発した。深夜の駅頭には勿論見送りの人を許さず、粛々たる出陣の風景だった。昭和十二年の山西出動の際とは全く事情が異なっていたのだ。敵が呼号する爆撃機は我々を輸送途上においていつ襲い来ぬとも限らなかった。各部隊とも対空監視を厳にし万一の場合の手配を充分に整えてこれに対応したのである。
 第一次輸送部隊は二十八日零時三十分哈爾浜着、同地において武藤少尉をして所要の連絡をなさしめて二時四十分同地を出発した。
 列車は北満の平原をひた走りに走る。二十九日九時、列車が東屏駅に差しかかった際だった。澄み渡った秋空をきって友軍機の六機編隊が我々の列車上空に飛来し、輸送援護のため前後左右に哨空を続けた。我が航空部隊の驚異的な大戦果はすでに頻々と我々の耳にも入っていた。青空に映える銀翼に見る日の丸の鮮やかさに無敵荒鷲の頼もしさをしみじみと感じたことであった。
 これより先六時片作命第○号が達せられた。ホルステン河左岸の戦況は益々緊迫した。ために各部隊はアルシャン到着後二時間以内に同地を出発、二十四時間以内にハンダガイに集結せよとのことだった。行程は少なくとも六十㎞以上と推定される。これを約一日の行程で突破するのだ。
 十一時三十分列車は目的地アルシャンに到着した。鉄道はここが終点になって両側の山が行く手を阻むように迫っている。左側は約二、三百メートル幅の平坦地がひらけ満人部落が数十戸散在する。機関庫は敵の爆撃を受けて半ば崩れ、鉄骨が無惨に垂れ下がっている。大きな岩が所々露出する両側の山には爆弾の跡がまるで地球の腫れ物のようにぽっかりぽっかりと数十箇不気味な跡を残していた。


[size=+1]第二節 強行軍

[size=+1]歩度六㎞

 先に述べたごとく、命ぜられた進発の時刻まで僅かに二時間の余裕しかなかったので、部隊本部は編成、命令の伝達とほとんど立ったままで万端の手順を終えた。
 残置を余儀なくされた物件の監視のために荒川曹長を長とし各隊より兵一名を残して十三時過ぎ早くも尖兵が出発、次いで第一大隊が前衛となって行軍が開始された。半岩石質の群山を縫って名も知らぬ小川が流れる。満州にもこんな川があったのかと思われる清楚な流れであった。道はこの川に沿って幅員約六メートル、まがりまがって坦々とのびる。我々は敵機に備えて出来るだけ行軍長径を大にし、休止する際は徹底的に疎開して大事をとった。
 部隊はひた歩きに歩いた。何時か夜になった。幸い降るような星月夜であった。
 二十時すぎ部隊はアルシャン西北方約二十㎞、アルゼン橋に到着した。さあ大休止だ! 早速三食分の炊爨開始。これから我々が向かわんとする平原は何時何処で水が見つかるか知れたものではない。水のある所でうんと飯を炊いとかなくてはならない。
 この大休止間に、本隊より約二時間遅れてアルシャンに下車した第二次部隊が、急行軍に次ぐ急行軍を以て追及し、部隊長の指揮下に入った。
 零時三十分進発した。道はここから小川と別れ、墨絵のようにかすむ小高い山の間を果てしなく続く。昼間の暑さは忘れたように秋気がぐっと身にしみる。アルシャンに降りた時オヤッ! と思ったのだが藪蚊がだんだん多くなる。歩いていると顔から手首と容赦なく喰いつく。叩き叩き歩いて行く中に掌が真紅に染まる。
 歩度は六㎞行軍に近い。兵隊はただ黙々と歩いて行った。長途の輸送でしかも車輌の配当が非常に少なくぎゅうぎゅう詰めの列車旅行であったので兵隊は疲れ切っていた。その上の強行軍である。夜明け近くになるにつれて疲労はその極みに達した。数時間唯に一度の休止もなく歩み続けて来たのである。夜が白々と明けた。憎い道は遙かの丘を越えていつまでも続いている。太陽が眩しく照り始めると不眠の疲労はうずくように体一杯にひろがって来る。
 八時すぎ部隊がトロル河付近にかかった時、聞き慣れない軋るような金属性の爆音がどこからともなく聞こえて来た。敵機である。と見ると遙か西方の空に陽の光りを真っ向に浴びて敵機三機が素晴らしいスピードで我々の上に襲いかかろうとしている。高度は千メートル以上もあるであろう。突如、高射砲弾が狂ったように炸裂して敵機の周辺に綿を千切ったような白煙を撒き散らした。友軍の防空陣地が案外近い所に設けられていたのだ。部隊も直ちに射撃を開始した。小癪にも敵機は悠々と飛んでいる。ドドーッと地軸を揺るがす轟音が響き渡った。爆弾投下だ! 我々から約三千メートルくらい離れた空き地に猛烈な砂煙が立ち上がるのが望見できた。敵機はそのあたりを散々に盲爆して遙か国境方面の空に飛び去った。

[size=+1]行けるところまで

 近代戦においては、まず第一に敵の航空機の洗礼を受けるであろうと、常々教えられた通りに、我々はまず敵機に見参した訳である。将兵の志気は益々あがった。行軍だ! 行軍だ! 暑い、実に暑い。ここまでの行軍中、夜明け方道ばたの陣地にあった満軍の給水所から一度水をもらっただけである。水筒一本ぐらいの水はたちまちの中に汗になってしまう。陽がたかくなるにつれて暑さは益々厳しくなった。軍靴の中でよじれた靴下は足の裏に食い込んで裂くように痛む。どの兵隊の足もまめだらけだ。
 さすがに健脚を誇る将兵も脂汗を流し、それが出なくなると塩をふいて塑像のような形相になる。このまま強行軍を続ければ患者が続出するかも知れなかった。現に、各隊には鼻血を出しながら歩いている兵もあった。しかし我々は進まなくてはならない。部隊長は更に行軍を強行するに決した。遅れる者とて決して弱いのではない。あまりにも行軍が猛烈であったのだ。時によっては一箇中隊数名になった時さえもあった。
 志気は如何に壮なりとも人間の体力には限りがある。ある中隊長は、足の疼きにたまりかねてうずくまってしまった兵を助け起こし、肩にかけて共に歩いた。飯を食う元気もなくなった兵には小隊長自ら箸を取って食わせてやった。将兵実に一体となった熱誠は難行軍をひたむきに征服せんと必死の努力だった。
 ハンダガイは近いぞ! 励まし、励まされつつ歩み続ける折り、支隊本部に連絡に赴いた齋藤大尉が「片作命甲第○号」を受領して来た。
 前方の戦局は刻々緊迫しつつあり、支隊は続いて将軍廟に向け急進せんとす。
 また歩くのだ。口には出さぬが、将兵は果たして歩けるか如何か? たとえ身を千々に砕くとも遂行せずんば已まぬ命令ではあるが、一抹の不安を覚えざるを得なかった。
 「行けるところまで連れて行こう」
 柏部隊長は傍らの齋藤副官をかえり見て、ただ一言こう言った。
 そうだ、我々はただ進まなければならぬのだ! 十三時三十分、まず先頭がハンダガイに到着、例によって三食を炊飯、大休止をおこなった後、続いて吉丸高地に急進の部隊命令が発せられた。

[size=+1]大平原

 みんな裸になっての大休止中、十七時頃敵の三機編隊がハンダガイ上空に飛来した。たちまち大空をえぐるように高射砲が鳴り響いた。我々も裸のまま敵機めがけて射撃したが、敵機はしばしして遙かに逃げ去った。
 二十時、部隊は六梯団に分かれてまたまた行軍を始めた。

第一梯団  第一大隊、本部、通信班 (健脚部隊)
第二梯団  第二大隊 (健脚部隊)
第三梯団  第一大隊、本部、通信班 (一般部隊)
第四梯団  第三大隊、連隊砲中隊 (健脚部隊)
第五梯団  第二大隊 (一般部隊)
第六梯団  第三大隊、連隊砲中隊 (一般部隊)

 ハンダガイから行くこと約二十㎞にしてハンダガイ峠にかかった。この坊主山を最後に、大地は一段と平坦さを増し、大波丘状の緩丘が見渡すかぎりに続く。道はいよいよホロンバイルの大曠原にかかったのである。東京から熊本まで続くと言われる曠野である。さえぎるものもないその広さは、夜目にもしるく底知れない不気味さで彼方に消えていた。
 ハンダガイまでの行軍を人間の有する最大限度の能力であったとすれば、これからは神業の行軍なのである。しばらく休んだ足は歩きなれるまで飛び上がるように痛かった。
 すでに二日二晩歩き続けたのだ。

[size=+1]遂に突破

 三十一日、太陽がかなたの草原から真っ赤にあがった。睡眠不足の眼は陽光にさらされて、刺されるように痛む。夜が明けてしばらく、行く手にあたって白いものがキラリと光った。やがて近づくにつれて段々と広さを増し、その全貌をあらわした。ドロト湖だ。はじめは白く輝いて見えた水も、このあたりからは澄んだ青銅色に重たく澱んで見える。この水は多分にソーダ分を含んでいるのである。
 八時、第一梯団を先頭に我々は湖の西方地区にかかった。
 あたり一帯の小高い丘には石油の空き缶が無数に散乱していた。友軍吉丸戦車隊激戦の跡で、吉丸高地と名付けられた所だった。部隊はここでただちに後続部隊の進出援護のために陣地を確保した。
 十時、第二梯団が到着するや支隊命令が発せられた。意外にも部隊は将軍廟に向かう予定を変更され、前面の満軍石蘭部隊の位置する軍右翼に進出して敵を牽制する命を受け、同夜は吉丸高地付近に露営と定められたのである。
 アルシャンから吉丸高地までの行程実に百余㎞、とうとうやって来たのだ。やり遂げたのだ。二日二晩、夜も日もない急行軍を我等は遂に征服したのであった。
 この日、夕方近く、遠空に轟く殷々たる砲声を聞いた。ここは戦線なのだ。我々ははじめて自分達がすでに敵陣近く迫っていることに気付いて、何かハッとした厳粛なものにうたれた。
 この時にあたり、軍正面の敵は狙撃三箇師団半及び機械化旅団で、その主力は我が左翼方面にあって陣地を構築中と伝えられた。我々は三十一日の夜、出動以来はじめての露営を吉丸高地において過ごした。天幕の中とは言え、のびのびと手足をのばした睡眠に、兵たちは連日の疲れを一時に取り戻した思いだった。


[size=-1]ノモンハン付近戦闘経過要図 昭和十四年九月六日


[size=+1]第三節 ドロト湖畔 (付図第十九参照)

[size=+1]攻撃準備

 明けて九月一日九時、部隊長は支隊長と同道して前面の敵情偵察に赴き十三時帰隊、部隊は引き続き同地に露営をおこなうことになった。
 吉丸高地から見ると右前方に小高いばらばら松の九七〇高地があり、そこには満軍石蘭部隊が陣地して、そのまた右前方はるかに松の疎林が続く。あたり一面は尺余の雑草が生い茂り、ハルハ河はみはるかす荒野の涯てに長々と横たわって見えかくれする。
 この日、軍主力方面に砲声轟き、満軍陣地の上空では彼我入り乱れての壮烈な空中戦がかすかに認められた。
 九月一日の支隊長ならびに部隊長の敵前偵察により、敵は概ね九〇四高地(ハンダガイ西西北)より八八五高地、七八〇高地すなわちホルステン河屈曲部の線に停止しているが、逐次ノモンハン及び将軍廟の西方地区に近接せんとしていることが判断された。ここに支隊は集結地を前進するに決し、第九中隊は拠点占領部隊を命ぜられ、二日二十一時行動を起こして九五一高地に移動、部隊主力は三角標高九三七・二西側凹地に集結した。
 昼間は百度を越える炎熱であるが夜は厳しい寒気と変わる。二日の夜の寒気はまたひとしおであった。そぼ降る小雨に濡れた戦線は、深夜に入って零下五度の寒さに襲われた。冬服の上に天幕をひっかぶっても歯の根が合わぬくらいだった。
 曠野の夜明けは早かった。短夜のあけ放たれるのを気遣いながら我々は爆撃に対する援護工事に専念した。一人を入れる各個掩蔽壕、少なくとも一メートル五十以上に掘り下げなくてはならないのだが、幸い土質が軟らかかったため、工事は割に楽に進められた。入口はどうにか入れるくらいに、内部は何とか横に寝られる程度に掘り下げるのである。その他に足がかりを作って、ちょっとした物を置くにも勿論何もなかったが泥の棚を作るのはお好み次第だ。いよいよ穴ぐらしの用意は出来た。人の寝ている穴へ落っこちる。穴のアパートはなかなか物騒だ!
 三日、部隊より加藤准尉ならびに佐藤准尉が将校斥候として出された。
 この日から、正面の敵は戦機ようやく熟せるを思わせるように、一般に活況を呈して来た。
 三日十九時、遂に部隊命令が発せられた。

部隊命令

九月三日十九時三十分
於九三七・二高地西方約二粁凹地

一、軍正面ニ於ケル態勢大ナル変化ナキモ当正面ニ於テハ敵情一般ニ活況ヲ呈シツツアリ
○団ハ敵ヲ当面ニ牽制スル目的ヲ以テ八八五高地ヨリ九九七高地ニ亘ル敵陣地ニ対シ攻撃ヲ準備ス、○○第十六○隊ハ一部ヲ以テ九〇四高地ヲ奪取スルタメノ諸準備ヲナス
犭虫立○○第二十九○隊ハ一部ヲ以テ九九七高地ヲ奪取スルタメノ諸準備ヲナス
二、部隊ハ一部ヲ以テ八八五高地ヲ奪取スルタメノ諸準備ヲナサントス
三、重原中尉ハ小銃二分隊ヨリナル一小隊(軽機一ヲ有ス)ヲ以テ二十三時三十分出発明払暁迄ニ南部九四四高地方向ヨリ八八五高地ニ到リ同方向夜襲ノ目的ヲ以テ敵情地形ヲ偵察シ四日二十時迄ニ帰還スヘシ
四、宮田中尉ハ小銃一箇分隊ヲ以テ二十三時三十分出発九〇四高地ニ夜襲ノ目的ヲ以テ敵情地形ヲ偵察シ五日五時帰還スヘシ
五、各隊長ハ夜襲ノ目的ヲ以テ九四四高地付近ニ到リ敵情地形ノ偵察ヲ実施スヘシ
六、警戒捜索地境左ノ如シ
○○第三十○隊○○第十六○隊間、片点線路上九五一高地南側─ハルハ河南側八三二高地ヲ連ヌル線、線上ハ右ニ属ス
七、攻撃ノタメ現在地出発ハ六日日没後トシ攻撃実行時機ハ七日前半夜ト想定ス
八、各隊ハ攻撃準備ノ捜索ニ方リテハ敵ヲ刺戟スルカ如キ行動ヲ避クルヲ要ス
九、第三大隊ヨリ一中隊(機関銃一小隊、○団無線一機属ス)ヲ石蘭支隊陣地ニ出シ○団並ニ後続部隊ノ進出ヲ掩護スヘシ
爾後○団長ノ直轄トス
十、合言葉ハ「山」「川」トス
十一、予ハ現在地ニ在リ

部隊長 柏大佐


 この日ヨーロッパにおいては果然英仏が対独宣戦を布告した。
 我が支那事変と呼応する如く独逸は遂に立ち上がった。さあ、我は今独逸と不可侵条約を結んでいる「ソ」連とここに戦い、独逸は今や欧州全土を向こうにまわして立ち上がったのだ。今や世界をあげて怒濤の如く、その帰すべきところに向かって驀進を開始したのである。無電に伝え聞いた将兵一同は、ここに判然と艱難なるべき皇軍の真姿を痛切に体得した。さもあらばあれ、皇国は大命のままに独り皇国の道を歩む。志気いよいよあがるのみ。

[size=+1]訓示

 四日、部隊長は各大隊長、副官、連隊砲中隊長、速射砲中隊長他に兵四名を率いて七時九四四高地付近偵察のため出発した。
 一行が九五一高地より九四四高地に到らんとする時、遙か前方に行動中の友軍斥候があった。馬を馳せ駆け寄って見ると昨夜出かけた重原、宮田の両斥候だった。重原中尉の報告によると同斥候はその行動中、長山北端において敵の騎兵斥候七名と遭遇しこれを撃退したとの事で、敵の斥候活動は益々活発になりつつあるのが知られた。
 この日はまた第十六○隊より出された将校斥候二組も敵と遭遇し、負傷者一名を出して苦戦に陥るなど、第一線部隊より頻々たる敵情報告がもたらされた。支隊本部は各隊に対し、潜入破壊班を選抜編成するように命じ、決戦は近きにありとの感がいよいよ迫った。
 こうした緊迫した情勢下にあって、部隊将兵がこれにも増して苦労したのは炊飯に要する水であった。やや近いところにやっと一箇所、水だまりを発見して、最初のうちはこのたまり水で辛うじて間に合わせていたが、馬匹の水飼と区別して使用しなかったのでせっかくの貯水池が泥沼と化してしまってからは、約十五、六㎞も離れたドロト湖まで水くみに通わねばならなかった。
 夜二十時三十分、第十一中隊が機関銃一小隊、○団無線一機を配属されて○団長直轄となり、九七〇高地に進出して同地を占領すると同時に、後続部隊の援護を命ぜられた。
 五日ももっぱら夜襲のための諸準備に費やされ、きたるべき決戦を前に、部隊全員に戦勝酒が分配された。極めて小量ではあったが意気大いに上がった。この日軍司令官荻州立兵中将よりの訓示が伝達された。

訓示

 曩二第○軍ノ編組ヲ令セラレ図ラスモ立兵乏シキヲ以テ西北地区防衛ノ大任ヲ拝ス寔ニ恐惧感激ノ至リニ堪ヘス爾来匆匆ニシテ満蒙国境紛争ノ渦中ニ投シ次イテ直接戦線ニ於ケル戦闘指揮ヲ継承旬日余ニシテ今日ニ至ル
 此ノ間小松原中将ノ指揮スル諸隊ノ勇戦苦闘ニ依リ克ク戦局ノ破乱ヲ制シ軍ハ目下将軍廟周辺ノ地区ニ於テ次期攻勢ヲ準備シツツアリ
 此ノ秋ニ方リ関東軍司令官ハ在満ノ最精鋭ヲ簡抜シテ当戦場ニ増派セラレ予ノ指揮ニ属シ以テ事変ノ迅速ナル処理ヲ企図セラル
 思フニ事態ハ既ニ単純ナル国境紛争ノ域ヲ脱セリ対支聖戦遂行ノ途上而モ暗澹タル内外政局ノ下今事変ノ推移ハ正ニ国家ノ大事ニ属ス
 而シテ軍カ斯ノ如キ難局ニ方リ対処スヘキ途ハ唯一ナリ即チ全軍全鉄ノ団結ヲ結成シテ速カニ敵ニ鉄槌的一撃ヲ加ヘ以テ彼ノ暴戻不遜ノ増長ヲ粉砕スルコト之ナリ
 今ヤ軍ノ戦備ハ着々トシテ国境鼠賊ノ蠢動ヲ一挙ニ封殺シ皇軍ノ精鋭ヲ世界ニ誇示スヘキ秋ニ会ス
 将兵ハ自重克ク事態ノ重大性ニ対スル認識ヲ深刻ナラシムルト共ニ上下一貫志気旺盛ニシテ靱強ナル攻撃精神ト必勝ノ信念トヲ堅持シ随所ニ敵ヲ圧倒殲滅シテ皇軍ノ威武ヲ宣揚シ以テ大元帥陛下ノ新倚ニ応ヘ下全軍ノ期待ニ副ハンコトヲ聊カ決意ヲ披瀝シテ訓示ト為ス

昭和十四年九月五日

第○軍司令官 荻州立兵

 これより先、九月三日以来九五一高地に拠点占領部隊を命ぜられていた第三大隊は、五日夜支隊直轄となり、軍正面にある敵を片山支隊正面に牽制する命を受けて八九一高地攻撃の準備中であった。
 六日十時から、部隊長は第一、第二大隊長及び各中隊長と共に九五一高地付近の偵察をおこなった。その途次九五一高地において第三大隊長と会談の結果、部隊が夜襲を決行せんとする八九三高地の敵の注意力を北方に牽制するが有利と判明し、この目的を以て第九中隊より樺澤准尉を長とする将校斥候が派遣された。

[size=+1]樺澤斥候の行動

 樺澤准尉を長とする一箇小隊は、六日十五時四十分陣地を勇躍出発、第九中隊より同斥候を援護する目的で、田中小隊が九五一高地西北一㎞の凹地に前進待機した。
 樺澤斥候はまず陣地の西北、松林に沿う線を約四㎞前進して八二九高地に向かった。
 八二九高地付近の偵察を難なく終えた一行が、その東方三㎞付近に差しかかった時、突如敵の戦車四台が騎兵二騎を先頭にして襲撃し来たり、続いて八二九高地背後より敵騎兵一箇小隊が同斥候めがけて襲いかかった。
 このありさまは遙か九五一高地からも手に取るように望見され、樺澤斥候危うしと見るや大隊長は第九中隊を以てこれの収容を命じ、一方速射砲隊は素早く敵戦車射撃の準備を終わった。
 八九三高地の北方にまたも戦車二台と歩兵一箇中隊が現れた。敵は樺澤斥候を一挙に包囲せんとするかのようである。大隊長は、大隊主力を以て当面の敵を破砕すべく意を決し諸準備を整えた。
 すでに十九時近く、田中小隊は友軍の右に進出して戦闘を開始した。敵の戦車上からする射撃は益々猛烈となって来た。敵の鉄の攻撃に対して味方はただ肉弾を以て果敢に対抗して行く。
 しばらくして今度は敵の砲弾が我の周囲に土煙をあげはじめた。
 敵は八九三高地の背後より砲撃をおこなっている模様、十九時三十五分ようやく第九中隊主力が現場に取りついた。主力到着によって敵は逆に両翼を包囲された形になり、豆を煎るような銃声が、しばし高原にこだまして響く。あまりに広いあたりのため、彼我の銃声は金属板を叩くように聞こえる。
 やがてあたりはようやく暮色に閉ざされた。かくて勇戦二十分、かなわずと見た敵は散を乱して潰走し去った。


[size=-1]ノモンハン付近戦闘経過要図 昭和十四年九月七日


[size=+1]九四四高地へ (付図第二十参照)

 太陽は遙か草原の彼方に没した。部隊は夜に乗じて集結地を前進する事となった。
 まず十九時重原中尉は第三中隊を率いて露営地を出発、部隊主力援護のため九四四高地に進出した。その間部隊は全員背負い袋の軽装となり二十一時三十分粛々と行動を開始した。
 幸い咫尺を弁ぜぬ真の闇である。軟らかい土質は夜間行動には絶好だった。歩一歩と進むごとに鬼気にも似た厳粛な気持ちが身内を引き締める。七日二時遂に命ぜられた集結地九四四高地に到達した。我々はただちに軍旗を中心に各個の壕を掘って天明を待った。夜は益々暗い。敵は八八五高地一帯に鉄条網を張り、盛んに戦車壕を構築作業中との事だった。闇の中から金属の触れ合う音が微風に乗って聞こえて来るようにさえ思われた。

[size=+1]夜襲準備

 七日十時夜襲に関する部隊命令が達せられた。これによって、第一大隊(大隊砲小隊欠)は第一線となり二十時までに夜襲のための諸準備を完了、第二大隊(第七中隊欠)は第二線となり第一大隊の後方三百メートルを続行、第七中隊は予備隊となって第一線、第二線の中間を前進、通信班、連隊砲中隊、大隊砲小隊、速射砲中隊は濱大尉の指揮を以て部隊主力の後方四㎞を続行する如く命ぜられた。そして時を同じうして第十六○隊は九〇四高地ならびに九七七高地に夜襲をおこない、○砲第三○隊は夜中に「ナマコ」形高地西側に陣地を占領し、八日払暁後における敵の逆襲に備える事になった。
 すでに攻撃のための配備は完了した。決行を当夜に控え部隊一同ははやりにはやって日の暮れるのをもどかしく待った。
 しかるに何事ぞ。
 十六時、突如支隊命令が発せられた。当部隊は夜襲を中止すべしとの命令である。まさにこれ九仭の功を一簣に欠くの思い、将兵齋しく憤懣にも似た気持ちで切歯扼腕した。
 やむなく部隊は十九時三十分第二中隊をして九四四高地を確保敵情監視にあたらしめ、第一速射砲中隊(歩○○速射砲中隊)を新たに第三大隊長の隷下に入らしめた後、主力は九四四高地を出発二十四時、前露営地に移動した。
 部隊主力が露営地に帰りついて間もなく、十六○隊が夜襲をおこなうはずになっていた九〇四高地の方向に猛烈な機銃の音が聞こえた。それに引き続き彼我いずれとも分からぬ砲弾の炸裂が響き、加えて手榴弾の音までが交じって来た。十六○隊が夜襲を決行したのだ!
 やったなっ!と思う間もなく、そのあたりにぱっと紅蓮の焔がたって焔々と燃えはじめた。敵が得意の火焔放射器か。駆けつけて一戦争やりたいが命令なれば致し方ない。
 この火は一晩中焔々と燃え続け、夜明けと共にそのあたりの雑草は跡かたもなく焼き払われ、高地の頂上に立っていた松は一枝も残さず黒こげになっているのが望見された。


[size=-1]九〇四高地付近の敵陣地(昭和十四年九月十二日)

[size=-1]ノモンハン戦闘経過要図 昭和十四年九月八日


[size=+1]鋼鉄の瘤 (付図第二十一参照)

 八日九時四十五分第三大隊より左の要旨の報告を受けた。

一、敵ハ依然九〇四高地ニ砲撃中ニシテ極メテ的確ナリ
二、タマダ高地ノ敵ハ若干増強セル模様ナリ
三、九〇四高地ニハ友軍ヲ発見シ得ス

 また同十一時四十五分、第三大隊長及び第二中隊より、敵の歩騎兵約百は戦車七、八十輌を伴い八八五高地方面より九〇四高地に向け攻撃を起せる旨の電話があり、部隊長はただちにこれを支隊長に報告した。
 前面の状況はまた一段と緊迫し来たったのである。十三時に至り、支隊より部隊は速やかに九四四高地に進出して当面の敵をハルハ河に圧倒殲滅せよとの命令が達せられた。再び決戦の機運は熟した。よって部隊長ならびに第一大隊長はただちに先行し、命令受領後十数分にして行動を起こした部隊は、早くも十六時前に九四四高地に到達した。ここはすでに第二中隊によって占領されていた地点である。この高地から遙かに九〇四高地のかたをのぞみ見ると濛々たる火焔は天に冲し、敵味方入り乱れての砲銃弾は砂塵をまきあげて炸裂した。その間をじーっとすかした我々は一体そのところに何を見つけたか? 実に高地を覆い尽くした敵の重軽戦車に他ならなかった。今や小さい平原の瘤の全表面が鋼鉄を以て覆われていたのである。かくまで逼迫せる状況に、部隊長はただちに第二中隊をして前方約三㎞にある石山高地に進出せしめた。森野中尉の命令一下、第二中隊は石山目がけて遮二無二急進を開始した。しばらく前進すると、これに気づいた敵は猛烈な射撃を加えて前進を阻止せんと試みた。その弾丸の雨をかいくぐり中隊は進みに進み、十八時五十分見事に石山高地に進出し、敵の左側背を衝く態勢をとった。

[size=+1]砲撃戦

 一方九四四高地においては、十八時再び支隊命令が発せられ、部隊は支隊の右第一線となり九四四高地西南三㎞閉鎖曲線の方向に前進し敵の背後を攻撃、日没後は潜入破壊班を以て敵戦車ならびに砲兵を襲撃潰乱したる後九四四高地東方三㎞の凹地に集結する如く命ぜられた。
 この中に九〇四高地方向の敵戦車砲及び八八五高地南方、九〇四高地からの敵野砲は、部隊の前進を防ぐべく砲撃を開始し砲弾は高地周囲に炸裂しはじめた。
 部隊は十八時二十分、砲弾落下の間隙を縫って石山に向かい攻撃前進を開始、約三十分にして予定通り石山高地に進出した。目に物見せてやる時が来た。火焔壜をさげ、爆雷を抱いた将兵は、まなじりを決しはるかに九〇四高地のかたをのぞんだ。
 しかるに何とまたまたこの時支隊本部から爾後の前進を中止せよとの命令に接した。友軍の危急を目前にする上からは、部隊長以下一同齋しく攻撃前進を願ったが命令なければまたやんぬるかな。現在の態勢のまま過ごすこととせねばならなかった。この時速射砲中隊は第一大隊の右翼に位置していたが、石山西方約二㎞の高地に敵砲兵の観測所及び自動火器陣地があるのを発見、これに砲撃を開始した。これと同時にナマコ形高地付近にあった友軍○砲も同観測所に砲撃を加え、更に射程を延伸してハルハ河右岸地区の敵に猛然たる砲撃の火蓋を切った。と見る間に今まで九〇四高地に対して火力を集中していた敵の重砲、野砲の砲列は、一斉に射向を石山の方向に転じ、ここに凄絶極まりない砲撃戦が展開された。敵の弾着は極めて確実である。弾道は交互に天空をさいて唸り、第一線陣地に狂ったように炸裂する。部隊長以下全員は、その都度砂ほこりを頭から浴びた。これに対する友軍○砲は僅か四門にもかかわらず、的確な必中弾を以てやがて完膚なきまでに敵陣を破砕し尽くした。十九時頃、猛烈な砲撃戦の上空に約五十の敵機が襲い来たったが、部隊は機関銃を以てこれに応戦遂に撃退した。
 ようやく暮色を加え来たった十九時半すぎ、頑強なさしもの敵も、まず歩騎部隊が退きはじめた。これに続いて戦車が数十台匆々と逃げ出した。得たり、と友軍砲兵はこれに弾雨をはなむけたが、陽はすでに没して目標は深い暮色の中に消え去ってしまった。彼我の砲声は逐次間遠くなり、敵の砲弾が思い出したようにドドーッと炸裂したのを最後に、戦場は静寂そのものの世界にかえって行った。つい先刻までの砲声と爆音に引き比べてこの静けさは何としたことであろう。音のない凄気がひしひしと戦場にみなぎりわたった。
 かくて第一線部隊(第一大隊)は川島小隊を現地に残し、主力は集結地を石山より九四四高地東側に移動した。

[size=+1]吹雪と蚊

 九日の夜は明けた。相変わらずの穴暮らしである。我々は敵方に絶えず警戒の眼を光らせていなくてはならぬ。一方炊飯にまたこっぴどく悩まされた。この頃から給水自動車が前線まで来はじめたがそれもともすると途切れ勝ちであったので時によると飲料水のために二十数㎞も離れたドロト湖まではるばる行かなくてはならなかった。この日も北方の二十三○団方面には絶え間なく砲声が聞こえ、黒煙がたちのぼるのが見えた。
 部隊はこの正午を以て○○第一○隊と現在地を交代して将軍廟に移動する事になっていたが、朝来敵は支隊前面に着々と兵力を増強し、強固なる陣地を構築中との情報によって急遽交代を変更される事になった。
 昼過ぎより国境の空は急に険悪になり出した。草原を吹く風はやがて疾風と変わり雨を加うるにいたった。夜に入って雨足は多少弱くなったが、深夜頃から今度は白いものが降りはじめた。九月上旬というに国境にははや初雪が訪れたのだ。寒気は益々厳しくなる。歩哨に立った兵の中には失心するものもあった。無理もなかった。昼間は百度を越す酷熱が、夜になるといきなり零下十度近く降ってしまう。気だけはいくらしっかりしていても、人間の体力には限りがあった。それでいて敵は猛烈で、吹雪に入りまじる蚊の襲撃は、常識ではとても考えられない妙なものだった。この困苦の中に兵はみないっぱし詩人になって来た。知ってる限りの歌を土台にして替え歌が幾つも作られ、口吟まれた。単調に飽いてしまった兵達の、切羽詰まった鬱憤のはけ口だった。

 ハロンアルシャン出てからは
 昼も夜もない皇軍で
 ひげに似合わず顎を出し
 水さえあればと負け惜しみ
 来る日来る日も米と味噌
 ハルハ湖畔の穴の中
 糧秣自動車来る度に
 水は来たかと顔を出す
 飯盒片手に雨の中
 何処がおいらの穴じゃやら
 見分けも付かぬたそがれに
 ドッコイ落ちたは人の穴

 ふざけたようだったが、こうした文句が、一番兵隊にぴったりした。
 九月十日の朝は広漠たる雪景色に明けた。雪は雨となり、また霜と変じて終日降り続いた。部隊長以下全員は泥まみれの穴の中で、飢えと寒気に戦いながら厳重な警戒を続けた。糧秣、飲料水、燃料の補給は到底望むべくもない。副食物は一日中梅干しばかり、それさえないと雨水を飯にかけてすすりこんだ。
 十一日になっても天候は以前回復せず、更に猛烈な吹雪となって来た。兵隊たちはもう乾いたところは一箇所もなくなった。
 十七時三十分、高野中尉以下四十名は地雷二十個、爆雷五個、火焔壜及び手榴弾を携行して出発した。まず石山東側を経て九〇四高地路上に到り、敵の通信網を発見破壊し、さらに敵戦車の集結地を求めてハルハ河の方向に前進した。約六㎞前進したけれども敵戦車を発見するに到らず、やむなく道を変じて九〇四高地南側陣地付近に差しかかるや、通信網を修理中の敵兵二名を発見した。手土産とばかりこれを捕虜にせんと取り囲んだが不意を食った敵は発砲しながら逃走せんと試みた。やむなくこれをしとめて翌十二日二時頃、利かぬ磁石に敵中を彷徨いしつつようやく帰隊した。
 この行動において兵一名が左前膊部骨折貫通銃創をうけ、一名が咽喉部に槍創をうけた。

[size=+1]雨の中

 吹雪は雨と変わったが、寒気は厳しかった。
 十二日払暁、第三中隊笹川上等兵以下四名が、石山西方地区の敵情捜索を命ぜられ、すでに明からみはじめた三時、そぼ降る雨をついて中隊陣地を出発した。
 四時頃、一行が九四四高地西南約四㎞の地点にかかった時、出会い頭に敵歩兵八名とぶつかった。笹川上等兵は、すかさず我に倍するこの敵に突入したが、敵のはなった盲目撃ちの一弾は無念にも同上等兵の頭部を貫通した。不意をうたれた敵兵はたちまち南方に潰走し、一行は上等兵の死体を収容して七時帰隊した。この尊い犠牲によって部隊正面の敵斥候の活動は依然として活発であることが察知された。また高野斥候の行動に脅えてか信号弾がさかんに撃ちあげられ、敵の動きは連日の悪天候にもかかわらず漸次激しくなるかに見えた。
 十三日になっても雨は降り続いた。朝六時に達せられた命令により、第三大隊は夜に入って満軍石蘭部隊と任務を交代して九七〇高地に移り、部隊は主力を以て九七〇高地より九五一高地を経て九四四高地の間を占領し、将軍廟──ハンダガイ道を確保する如く命ぜられ、第二大隊は第一大隊と第一線を交代した。
 この夜も九〇四高地付近には敵の照明弾、信号弾が盛んに撃ちあげられ、手榴弾の炸裂、機銃、小銃の音が終夜断続した。
 十四、十五両日を部隊は終日至厳な警戒のうちに過ごした。相変わらずの雨、雨、雨である。水さえあればと負け惜しみをした兵隊も、こうなっては、壕の中で戦車地雷を抱きながら腹の底まで冷え切った。砂を多分に含んだ土が、濡れてもぬれてもどしどし水を沁みこませて行くのがせめてもの幸いだった。みなの穴には小さな野鼠が巣をつくりはじめた。そんなものにも何故か殺せぬ妙な親しさが湧いて来るのだった。
 十五日の暮れ方から、空がかすかながらも明るくなった。明けて十六日。空は忘れたように晴れ上がり、美しい太陽がさんさんと輝きはじめた。光りの魔術は、大草原の白露を限りない宝玉に変えて、我々の目を奪った。
 すぐ前には敵の戦車群が、我々を蹂躙せんと手ぐすねひいていた。だが兵隊たちは、何物も忘れて、陽光のめぐみに白けきった身体をさらした。
 敵前の日光浴に濡れきった戎衣もどうやら乾いた。
 さあ陣地強化だ、対戦車壕の構築だ。各個の壕も修理しなくてはならぬ。この結構な穴の住居も、さすがに連日の雨でいたみ方がひどかった。やっぱり愉快なのか、背に筋の入った、リスのようなノモンハン鼠が、ピョコンピョコン壕から飛び出して来た。
 この日は終日工事に専念した。
 十八時三十分、第三大隊より敵は薄暮攻撃を企図しあるものの如しとの報告があった。だが、全く奇妙な一日であった。眼鏡で見ると遙かノモンハンの方にぽっかりアドバルーンがあがっていた。一発の砲声もなく、銃声さえも聞こえなかった。これまでこんな日も夜も一度もなかった。この静けさは一体どうしたのだ? 砲弾の子守唄に馴れた一同はその夜、かえって妙にねつかれなかった。

[size=+1]停戦協定

 十七日も、前日に増した日本晴れにカラリとあけた。八時齋藤大尉が連絡のため支隊本部に赴いた。ところが何と、停戦協定が昨日のうちに成立してしまっていた。国境をとざした血生臭い暗雲は、この天候と共に晴れ上がってしまったのだ。一体これで良いのか、悪いのか。とにかく事件は一応決着してしまったのだ。ホッとしたというよりもがっかりした気持ちで、みなしばらくはぐったりする気がした。昼過ぎ鈴木准尉以下三名が、アルシャンに置いて来た諸材料を自動車で運搬して来た。その荷物の中に、これはまた思いがけなく我々にあてた郵便物が十梱混じっていた。雨にうたれ、陽にやかれ、白い歯をむき出して眼ばかりギラギラ光らせている兵たちは、この日初めて心の奥底からニンマリと微笑した。

[size=+1]警備

片山支隊命令

一、昨十六日八時ヲ以テ停戦ヲ命セラル
二、各隊ハ直チニ戦闘行動ヲ停止スルト共ニ厳ニ現在地特ニ第一線ノ態勢ヲ確保シ後命ヲ待ツヘシ
三、予ハ現在地ニアリ


 部隊は停戦協定により、即日現配備のままドロト湖西南地区の警備に任ずる事になった。
 十八日からまたもや雨が降りはじめたので、前方の情況は充分に判明しなかったが、総じてソ軍の活動は消極的で、兵力も徐々に西方に向け移動している模様だった。
 二十日第○軍合同慰霊祭が、将軍廟南側レンゲ山付近で執行され、部隊より部隊長以下五名の代表が参列した。第一線部隊では同時刻に第一大隊のラッパを合図に、はるか将軍廟方向に対して一分間の黙祷を捧げ、国境血戦の鬼神と化した戦友の英霊に、心からなる冥福を祈った。
 この日、日ソ両軍は、停戦による第一線を標示するため赤白旗を樹立した。
 整備に入ってから敵弾の洗礼は一応遠ざかったが、情勢は何時急変するか予断は全然許せなかった。我々はまず陣地の改造に着手した。
 これまではひとりひとり穴蜂のような各個壕を構築していたのだが、種種の不便から各小隊ごとに掩蔽壕を掘り、地上すれすれに携帯天幕を張って長期対陣の準備をした。
 国境の秋はいよいよ深く、日中の陽ざしはいくらか凌ぎ易くなったが、夜間の寒冷はひとしおと厳しさを増して来た。今までは戦場の騒音にかき消されて聞こえなかった蒙古狼の不気味な遠吠えが、毎夜のように聞こえた。風の疾い夜は、草のざわめきが風に乗って、遙かに遠のくのがいつまでも聞きとれた。対陣の間、我々は角力に興じきたるべきものを待った。


[size=+1]第四節

[size=+1]御言葉

 二十三日午後、部隊帰還に関する要旨命令が達せられた。

要旨命令

一、帰還ニ就イテ
1 二十八日現陣地ヲ撤シ支隊ハ「ハンダガイ」峠西側地区ニ集結ス
此際支隊予備隊ハ十時マテ主力撤退ノ援護ノ態勢ヲトル
第一線部隊ハ撤退ニ方リテハ中隊毎ニ将校ノ指揮スル一分隊ヲ現陣地ニ残置
主力ノ集結終リタル頃撤退集結地ニ到ル
2 先頭部隊ハ二十九日集結地出発十月一日ハロンアルシャン着、十月二日・三日ノ両日乗車
二、速射砲中隊ハ本夕片山部隊本部ニ集合明二十四日出発、二十七日乗車、○○兵○隊ヨリ自動貨車四輌ヲ以テ之ニ協力セシム


 九月二十五日、閑院参謀総長宮殿下より関東軍隷下諸部隊に対し、優渥なる御言葉を賜った旨、第○軍司令官より達せられた。

隷下一般ヘ達

参謀総長宮殿下ヨリ左ノ如キ御言葉ヲ賜フ実ニ恐惧感激ニ堪ヘス隷下及指揮下部隊将兵一同自粛自戒益々奮励努力以テ御期待ニ副ヒ奉ランコトヲ期スヘシ

昭和十四年九月十九日
第○軍司令官 荻州立兵

今次「ノモンハン」事件ニ際シ関東軍隷下諸部隊ハ長時日ニ亘リ不毛ノ地ニ困苦ニ堪ヘ瘴癘ヲ冒シ克ク力戦健闘セリ深ク其ノ労ヲ多トスルト共ニ特ニ戦没ノ英霊ヲ悼ミ傷病ノ将士ヲ慰ム

昭和十四年九月十六日
参謀総長 載仁親王

 この日第一線部隊たる第二、第三大隊は、軍の指示により現在占領しある地点に標石を埋没した。すなわち第二大隊は石山高地頂上に、第三大隊は九七〇高地の頂上やや前方に「日本軍占領」と刻した標石を埋没し、皇軍奮戦の跡を永久に国境深くきざみつけた。
 九月二十七日、部隊はいよいよ苦闘の一月を過ごしたホロンバイル平原に訣別を告げて現駐地に向け帰還の途についた。想えば苦しかった一ヶ月であったが去るとなると穴の住家もまた思い出深いものがあった。

[size=+1]生きて再び

 早朝四時第一線部隊は、監視のため将校の指揮する一箇分隊を残置して撤退を完了、主力は第二中隊を尖兵としてハンダガイ峠西側の集結地に向かった。九時十分全員異状なく集結を終わり、監視のため現場に残置された小林分隊、清水分隊、南田分隊、田中分隊も、それぞれ夕刻にかけて同地に無事帰還した。
 その夜はここに露営して、翌日六時五十分行軍を開始した。このあたりは一ヶ月前に難行軍に難行軍を重ねた草原地帯なのだが、往路と異なりトラックが時々給水に来てくれた。ただ、蜿蜒と長蛇の列をなして驀進する自動車の群れが、目も鼻もあけていられないほど、濛々たる砂塵をあびせかけては行きすぎた。同夜はハンダガイに露営、二十九日早朝トロル河に向かって進んだ。今日もまたトラック群との道行で、十四時十分トロル河に着いた我々は、その夜はここに露営し、明けて三十日アルゼン橋に向かった。このあたりの道路は猛烈な車輌の往来のため甚だしく破損していた。
 各中隊から下士官を長とする兵十名が出され我々は道路修理をおこないながら進み十三時三十分アルゼン橋に着いた。
 部隊は同地に四日間の露営を実施、その間道路修理及び帰還のための諸準備をおこない、ドラム缶の風呂に戦塵を流し魚を釣り英気を養った。
 十月五日アルシャン駅から乗車した。ちぎれ雲が飛んで、遙か国境の空はどこまでも高く澄みわたった秋空であった。かくて部隊は二梯団に分かれて一路現駐地に向かい、こえて八日、第一次部隊は十七時三十分、第二次部隊は十八時三十分、官民多数の盛んな歓迎に迎えられて懐かしの穆稜に第一歩を印したのであった。

评分

1

查看全部评分

 楼主| 发表于 2008-5-24 23:06:59 | 显示全部楼层
发表于 2008-5-25 00:26:31 | 显示全部楼层
一个女生对战争感兴趣 难得
发表于 2008-6-3 17:16:16 | 显示全部楼层
日本只有欧洲一战的水平
您需要登录后才可以回帖 登录 | 注册

本版积分规则

Archiver|手机版|小黑屋|蒙古青年论坛

GMT+8, 2026-7-25 00:20 , Processed in 0.019249 second(s), 15 queries .

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2023 Discuz! Team.

快速回复 返回顶部 返回列表